身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ~底辺家庭の東大受験~ 

塾なし公立中高一貫校合格。2024年塾なし【東京大学】受験。低学歴・低所得家庭の挑戦

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塾なしで家庭学習を頑張る家庭の実践方法と成功事例①~教育の重要性~

 

※この記事には個人的な見解が含まれております。

 

かなり長い記事になっておりますが、現在の私を形成したとても重要な話になっておりますので、家庭学習メインで考えている方、またそうでない方もご一読いただければと思います。

 

またcontents(目次)の数が多いので非表示にしてありますが、表示と書かれた部分をクリックしていただけば表示されますので、見たい箇所まで飛ぶことは可能です。

 

 

 

なぜ教育が必要なのか?

 

はじめに

 

過去の記事にもあるように低学歴・低所得の私達夫婦は、子どもを授かってから

【どうすれば子どもが一人で生きていけのるか?】

を必死になって考えてきました。

 

それは自分自身の後悔からきているものですが、子どもには私達のような人生を送ってほしくなかったからです。

 

何の才能もなく、勉強もしてこなかった私には武器がありません。

 

高度成長期でもあれば仕事に困ることもなかったでしょうが、目まぐるしく変わっていく時代ではそうはいきません。

 

予測できない時代だからこそ、学びから多くの備えが必要だと考えた私は、自分が置かれている環境の中で、自分の経験という真実を武器に何ができるかを模索しました。

 

 

そして、まずは自分が生きているこの社会の仕組みを知ることから始めたのです。

 

私達は人間社会という出来上がった枠組みの中に生きています。

 

そこでは、誰もがその歯車の一つとして仕事をし、お金(対価)をもらい、そのお金を使って生活しています。

 

自由というものは、この決められた枠組みの中で

【いかに自分らしく生きられるか?】

だと理解した私は、この社会に逆らっても何一ついいことなんてなく、いかに上手く適応していくかだと気付かされました。

 

全くもって無知な私は、自分が生きているこの社会のことを何も知らずに生活していたのです。

 

このような無知になったのも、後悔ばかりの人生を送ることになったのも、元を正せば何一つ学んでこなかったことが原因で、自分の過去を振り返ると真っ先に思い浮かんだのは教育の大切さでした。

 

子どもにだけはこのような後悔をしてほしくない。

 

私達が死んでも、どうにか一人で生きていけるようにしてあげたい。

 

未来への糸口は、誰もが通う学校にあると思い調べていくことにしたのです。

 

 

教育基本法

 

明確な目的

 

 

私は気付いたら小学校という場所にいて、同い年の子達と教室という部屋に閉じ込められていました。

 

そこでは教科書というよく分からない本を使って、文字や数字をたくさん書いたりします。

 

授業という時間では、先生と呼ばれる大人が教室の前に立ち、黒板に文字を書いたり、子ども達に教科書を読ませたりします。

 

お昼になると白い割ぽう着を着てみんなに食事を配り、授業が終わると掃除をして家に帰ります。

 

たまには外に出て体を動かしたり、遠足や写生大会で公園に行ったりしますが、基本的には教室で毎日同じようなことをやり、同じ時間を過ごしていきます。

 

いつの間にかそれが当たり前のように習慣化されていきますが、それでも私は疑問に思っていたことがありました。

 

それは

 

【一体何のためにこんなことをやっているのだろう?】

 

変わり映えのない習慣化された毎日を過ごし、季節の移り変わりを教室の窓から眺めていると、あっという間に1年が過ぎていく。

 

この習慣は自分にとって何の意味があるのか?

 

自分にとって一体何の役に立つのか?

 

疑問ばかりが浮かんできますが、答えなんて何も分かりませんでした。

 

なぜこのような疑問を持っていたのか?今ならその答えが分かります。

 

それは、明確な目的を誰も教えてはくれなかったから

 

親も学校の先生も誰一人として学校へ行き勉強する大切さを教えてはくれませんでした。

 

目的を明確にし都度その大切さを説いていれば、子ども心でも

 

【やらなければいけないこと】

 

として認知しますが、そうでなければ行動と結果が伴うはずもありません。

 

このように、私はどうやったら自分の経験を子育てに活かせるのか?を必死になって考えた時に、過去を振り返ることで、現在の自分を形成していった要因を一つひとつ探っていくことにしたのです。

 

キーになる出来事はたくさんありましたが、一番の問題は勉強する意味を明確に理解していなかったこと。

 

この勉強する意味をしっかりと子どもに教えることが必要だと感じた私は、学校というものが一体何のために存在し、どのようなことが行われているのか?学校の本質を追求していくことからスタートしました。

 

そして、いろいろと調べていくうちに、いくつものキーワードが顔を覗かせ、それらを少しずつ自分なりに解釈していったのです。

 

始まりを探していくと、歴史を辿ることになりました。

 

そして、ここで最初のキーワード

 

【教育基本法】という言葉に出くわすのです。

 

(教育基本法? 法というくらいだから法律なのかな?)

 

法律という言葉に何の縁もない私は【法と付く言葉はみんな法律】としか思っていませんでした。

 

 

法律の解釈

 

 

この法律というものは、いかんせん難解な言葉で書かれています。

 

ハッキリしてないというか、どっちつかずな印象を与えるというか、ごまかしが効くというか、解釈が非常に難しいです。

 

もっとかみ砕いて万人にも分かりやすく言ってくれないかな……

 

なんて思いながらも、理解できない自分が悪いと納得し、時間を要すも一つずつ自分なりの解釈をしていきます。

 

すると、教育基本法というものがなぜできたのか?その歴史を知る必要が出てきました。

 

まず私達が住む日本国は、昭和20年に戦後の日本の在り方として、新日本建設教育方針(教育基本法の元)と呼ばれるものを発表します。

 

戦後の日本を立て直していくために、また日本の未来がどうあるべきかを様々な有識者達の見解を交え、国が方向性を定めていったのですね。

 

そして、2年の歳月を経て、昭和22年に教育基本法が公布・施行され、現代日本の礎を築いていくのです。

 

また、教育基本法は平成18年に改正されており、根本は同じでも時代に合わせてより具体的な文言に修正して社会や経済状況を鑑みたものになっています。

 

この教育基本法とは日本国憲法第26条の理念に基づき作られているということを知りました。

 

 

日本国憲法第26条【義務教育】の意味を知る

 

 

日本国憲法第26条の理念

 

すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

2 
すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。

 

 第1 

 

 

 

 

 

 

 

まさか、私が憲法なんて言葉に触れることになるとは思ってもいませんでしたが、教育基本法を調べると必ずここに行きつきます。

 

この憲法第26条が、勉強しなかった私でもなぜか知ってる【義務教育】の法律です。

 

その第1項では、国民全員がその能力に応じてひとしく教育を受ける権利があると言っており、この能力に応じてという文言がキーだと私は考えました。

 

受験をして能力的に同じくらいの子達を選抜し、同じ教育を受けさせるという考えではなく、年齢に応じた段階的な教育を受ける権利と解釈しました。

 

そして、第2項では、保護者は子どもに教育を受けさせる義務があり、それは無償だと言っています。(授業料や教科書がこれに該当します)

 

これを私なりに解釈していくと、すべての国民は年齢に応じた段階的な教育を受ける権利があり、保護者は子どもに義務教育を受けさせなければならない。

 

ということになります。

 

しかし、第1項では教育を受ける権利があるとだけ言っていますので、子どもに教育を受ける義務はないと判断できます。

 

よって、子どもが学校に行くことを拒めば行く必要はありません。

 

けれど、保護者には義務があるので、むしろ保護者が子どもに教育の大切さを教え、学校に行く必要性を説かなければならず、学校へ行く機会を与えるよう努める必要がある。と解釈しました。

 

国は教育に関する保護者の負担を減らすため、授業料や教科書代は無償にするから、貧しいので学校に通えないということがないよう、正当な理由もなく保護者は子どもから教育の機会を奪ってはならないと義務付けているのですね。

 

 

この義務教育は、勤労の義務と納税の義務を合わせた国民の三大義務の一つです。

 

国民の三大義務という言葉は知っていてもよく理解していませんでしたが、つまりはこういうことですね。

 

国が提示する理想の日本国民になるため、教育基本法の目的と理念に沿った教育を受け、日本の経済を形作り、働いて税金を納め日本という国を発展させていきましょう。

 

頭の悪い私でも分かるようストレートに言ってほしいのですが、そこは法律ですね。

 

自分なりに解釈して理解していくしかありません。

 

 

目的と理念

 

教育基本法を調べていくと憲法の義務教育に繋がり、更に深堀りすると教育基本法の目的と理念を知ることになりました。

 

教育基本法の目的は下記の教育基本法第一条に示されています。

 

 

【第一条】

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 

ここで言われているものが日本の目指す国民像であり、教育の目的となっているのですが、いまいちよく分からないので、分解していくと3つのキーワードが出てきました。

 

1.人格の完成を目指す。

2.平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備える。

3.心身ともに健康な国民になる。

 

この3つに示された国民像を目指すことが教育基本法の目的なのですが、ここで問題が発生します。

 

【この目的を達成したいのは分かったけど、一体どうやってその目的を達成すればいいのか?】

 

目的達成のための手段が分からなければ達成しようがない。

 

そう思った私の前に、具体的な目標(方法)が書かれた第二条というものが現れます。

 

【第二条】

1.幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

2.個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

3.正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

4.生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

5.伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 

この第二条は5項目ありますが、これらをクリアしていくのは並大抵ではありません。

 

これだけ幅が広いと、学校だけで学ぶことは到底不可能なわけです。

 

ですから、教育基本法とは

 

【学校だけに限らず、教育全般の目的や基本方針を示した法律】なのです。

 

そしてここには、最終的な目的達成のために多くの教育法が存在しており、ここに付随するのが、学校教育、家庭教育、社会教育といったもので、それぞれに基本的な役割が示されているのです。

 

その中で、もっとも重要なのが教育基本法の第10条で謳われている

 

【家庭教育】についてです。

 

教育基本法 第10条(家庭教育)

父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 

この文面では、保護者は生活するための必要な習慣を子どもに身に付けさせ、自立心と心身の調和を保てるよう教育に努めること。

 

そして、それらの責任は保護者にあると言っています。

 

当たり前ですが、子どもがどのように育ってもその責任は全て親であり、そのことが第10条に明記されているのです。

 

 

学校教育法

 

ここで、いよいよ学校に関する法律【学校教育法】が出てきます。

 

学校教育法とは
学校の種類
学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

学校の設置者
国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。

義務教育
小学校6年間、中学校3年間の合わせて9年間とする。
 

このように学校教育法は学校制度の基本を定めた法律となっていて、具体的な教育内容を示したものではありません。

 

これらが分かってくると、学校は一体何を基準にし、どのように教えているのか?を知る必要があります。

 

 

学習指導要領

 

そこで出てきたのが学習指導要領で、これが実際の学校教育を形作っている根幹になる部分で、最重要ポイントになっています

 

学習指導要領とは
文部科学省が、学校教育法に基づき各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めたもの

 

学習指導要領では、小中高とそれぞれの教科目標や教育内容、年間の授業時間等を定めており、それらを踏まえて学校が教育課程(カリキュラム)を編成します。

 

これは、そもそも学校教育というものは、全国のどこに住んでいようと一定水準の教育が受けられるようにしなければならないという考えからきており、国が定めた学習指導要領を基に、各学校がカリキュラムを考え実行していくわけです。

 

各教科の先生は年間の授業時間を考慮し、教科書1ページをどの程度の時間を使って授業を進めていくのか?を考え計画を組んでいるのですが、ここで私は疑問に思うのです。

 

それって、結局は学校次第(先生次第)ということだよね?

 

トップダウンだからその仕組みは分かるけど、その要領を理解して実際に子ども達へ教える先生の力量が無かったら、もしくは仕事だからと割り切っていたら

 

【本当の平等にはならないよね?】

 

そうなんです。

 

学習指導要領は学習内容について示しているだけで、やり方(方法)までは示していないため、学校や教員の裁量が大きく、やり方次第で差が開いてしまう可能性があります。

 

地元の公立小中高は、国が示す学習指導要領がベースになっているので、学校独自の特色はそれほどなく、私立であれば学校独自の教育理念に沿った内容で授業も行われるため、教育熱心な家庭はそちらを選ぶ傾向にあります。

 

独自のカリキュラムで、質の高い施設があり、同じレベルの子達が集まるという環境もあるのだから、行かせられるだけの財力があれば私立を選ぶのも理解できます。

 

また、学習指導要領は10年に1度改訂され、2020年度以降は小学3年生からの授業で外国語活動(英語)やプログラミング教育も始まっています。

 

このように時代の流れに合わせた教育を行うために学習指導要領はあるのですが、10年に1度の改訂が適切だと思いますか?

 

1~2年で変わっていくような時代なのに、10年も待っていたら小学1年生から高校1年生の間を全て無駄にするようなものです。

 

ですから、どんな時代になっても対応できるように、できるだけたくさんの武器を身に付けさせたいと思わないですか?

 

AIの急速な発達により10年後には無くなってしまう職業はたくさんあると言われています。

 

プログラミング教育は必要だと思いますが、単純なデータ入力だけならAIで十分でしょう。

 

じゃ、どうするの?

 

これからは単にプログラミングができるだけではなく、論理的思考力や英語力も必要になりますし、それらを複合的に身に付けなければ人との差別化は図れません。

 

結局のところ、世の中は相対的に表現されていますので、自分に付加価値を付けていくのは、この社会で生き抜いていくためには必要なことなのです。

 

 

学習指導要領には各教科の学年に応じた目標や備えるべき知識、技能などが事細かに設定されており、各教科に留まらず総合的な学習の時間や特別活動などの学校で行う全ての教育が網羅されています。

 

このブログのトップページにあるサイドバナーに各種リンクを貼っていますので、ぜひ一度ご覧になってください。

 

ここには小学校(義務教育)の通知表でよく見る

【学習のめあてや行動のめあて】

などが凝縮されており、教員向けの解説まで載っていますので、各教科の評価はどこを基に判断しているのか?とても参考になると思います。

 

 

生きる力

 

出典:文部科学省ホームページ

           平成29・30・31年改訂学習指導要領 

           周知・広報ツールより

 

 

このリーフレットは改訂された学習指導要領のものですが、表紙に

 

【生きる力】

 

と、でかでかと書かれています。

 

私が18年前から言ってきた

 

【生きていくため】

 

をやっと使ってくれましたね。

 

これこそ私が子育てで一番重視してきた本質なのです。

 

【改訂に込めれれた願い】でも言われていますが、

 

これからの社会がどんなに変化して予測困難になっても……この言葉が示している通り、時代はもの凄いスピードで変化していますので、どうなっていくのか誰にも分からず、国ですら先が読めないんです。

 

このリーフレットに書かれているのはポイントだけでしかなく、義務教育のカリキュラムに組み込まれはしますが、だからといってこのような求められる能力が身に付くかどうかは別の話です。

 

要求されるものが多くなればなるほど、学校だけに任せるのではなく、更に踏み込んだ教育を家庭でもしていかなければ身に付くことはないでしょう。

 

教育基本法第10条にあったように、子どもの責任は親にあります。

 

国が先の時代を案じ学習指導要領を改訂したのは、これからの時代を生きていくのに最低限必要な能力を身に付けさせたいからで、これらは学校と家庭の両輪を上手く回していくことが最も重要になるのです。

 

私はこの学習指導要領が改訂される15年も前から【改訂に込めれれた願い】を想像し、子育てをしてきました。

 

ここに書かれている(キャリア教育、起業に関する教育、金融教育、防災安全教育、国土に関する教育、プログラミング教育)以外は全て家庭が軸となってやってきました。

 

毎日通う学校で基本を教わり、その基本が浅ければ深く理解できるまで徹底し、更に家庭で応用までしていきます。

 

そして、一番の肝はリーフレットの下に書かれている

 

【お子さんが学校で学んだことについて、家庭で話してみてください】

 

私はこれを息子が3歳の時から毎日徹底してやっています。

 

初めはよく分からないことを言っていましたが、年齢と共に語彙も増え意味も通じるようになりました。

 

このように、学校は学校、家庭は家庭でブレない軸を持って子どもの教育を行っていく必要があります。

 

そして、これらをしっかりと身に付けていくのが大切で、私がよく言う

 

【小学校の6年間をしっかり学んできましたか?】

 

の意味はこういうことなんです。

 

学習指導要領に書かれていることは(リーフレットではなく)学校で行っている基本なんです。

 

その基本でも各教科の学年ごとに確認すべき項目はかなりあります。

 

ざっと見ても、各教科150ページほどに渡って小学校の6年間でやる内容が書かれています。

 

これ、本当にしっかりと自分のモノにしていますか?

 

見るべきポイントはテストの点数だけではないですし、学びは主要教科だけではないですよ。

 

ですから、私は義務教育の9年間は基本をしっかりと身に付ける方が先で、むやみやたらに先取り学習はしなかったのです。

 

小学校での学びは小学校でしか学べないんですよ。

 

学習指導要領にもあるように、教科と呼ばれるもの以外にも学ぶべきものはたくさんありますよね?

 

学びに向かう力(主体性)、人間性、思考力、判断力、表現力、こういった力は座学だけでは決して得られません。

 

これらの多くは体験を通して培われていくものです。

 

ですから、義務教育の基本である、年代に合わせた学習が大切なんです。

 

外に出て身近な社会に触れたり、体を動かして忍耐力を養ったり、小学生のうちに身に付けておきたい力は、むしろ座学では学べない非認知能力なんです。

 

先のことなんて結局はその年齢になればやるんですよ。

 

もうできるからと言っても、カリキュラムで決まっているものを飛ばすことはできません。

 

それが嫌だと駄々をこねたら、それこそ協調性がないということになってしまいます。

 

ですから、急ぐ必要なんて何もないんです。

 

それよりも年代に合わせたやるべきことはたくさんあるので、学校での学びを疎かにせず、しっかりと身に付けられるよう足元を固めていかなければならないのです。

 

 

自国の発展

 

いかがでしたでしょうか?

 

正直言って私は世の中の仕組みが見えてしまった時、ゾッとして全身に鳥肌が立ちました。

 

バラバラな点ですら分からなかったことが、一気に線で繋がり頭の中を駆け巡り、気付いてしまったんです。 

 

何が?と思いますかね?

 

 

いいですか?

 

国は憲法で教育を受ける権利と義務を主張し、その教育は教育基本法の目的を達成するためにあるわけです。

 

そして、その目的とは、国が求める日本国民の養成ということです。

 

国は自国の発展のために、教育を通して国民の養成を行い、その目的を達成してきた人達が今の日本を築き上げてきたわけです。

 

ということは、当たり前ですが人間社会は人間が作っているわけで、始めから作られていたわけではありません。

 

勝手に時代が変わっているのではなく

【もっと便利に、もっと快適に】

利便性を求めて優秀な人達が時代を変えていってるのです。

 

そう、この社会はしっかりと学んできた人が生きやすくなっている。

 

なぜなら、そもそも国は自国の発展のために社会を作っているからです。

 

自国が発展していけば、より国民の生活は豊かになりますよね?

 

現に我々の祖先達のおかげで戦後の日本は経済大国になるまでの発展をしてきましたし、日本人がまじめで勤勉なことにも影響していますが、教育の役割がとても大きいことの裏付けにもなっています。

 

このように教育が社会の構成と発展に重要な役割を果たしているのです。

 

しかし、義務教育は社会的平等の観点からも、社会で生きていくための最低限の教育を与えているに過ぎません。

 

逆に言えば、この最低限のことすらできないようでは、これから先の時代で生きていくことはできないのではないでしょうか。

 

そしてそれは日本だけに限らずどの国も同じで、世界中が自国の発展のために競い合っているのです。

 

このように、私はこの社会で生きていくために、国が最低限の教育を保障してくれていたにも関わらず、その大切さにも気付くことなく年を重ねてしまいました。

 

【小学校の入学前に教えてほしかった……】

 

無知ほど怖いものはありません。

 

まだ小さいから言っても理解できないだろうではなく、年齢に合わせた現実を教えてあげてください。

 

教育の大切さを教えるのは親としての義務です。

 

嫌だといっても、私達はこの社会で生きていくしかないのですから、せめて子ども達にはこのような現実をしっかり教えて育てていきましょう。

 

 

 

参考文献:文部科学省 

     日本国憲法(条文抜粋)

     教育基本法・学校教育法 

     学習指導要領 

     www.mext.go.jp