東大受験に塾なしで挑む!底辺家庭の子育て体験談
自由のための苦労
人生の選択ができる時期
子育ての終わりはいつなのだろう?
【自分の考えを基に、自分の責任で人生の選択ができる時期】
これをしっかりと決められるようになった時が適切なのだろうが、普通に考えれば最初の選択は高校受験になるはずだ。
しかし、履歴書の最終学歴欄に高卒と書くことが目的となっていた俺は、中学生の時点で正しい判断などできていなかった。
中学生くらいの年齢はまだまだ未熟で、自分の人生を見据えて行動できている子は少ないはず。
自分の経験からも
【自分の考えを基に、自分の責任で人生の選択ができる時期】
というのは大学受験をする年齢
すなわち18歳が一番妥当であろう。
最終学歴欄は将来の自分を見据えて自分で決める。
そこに親である俺の考えは必要なく、どの大学でも選べるだけの力を付けてあげるのが役目だ。
経済的な理由で海外の大学と私立は不可能だが、国内の国公立大学ならどこだって選択できるようにしてあげなければ……
子育ての終了は、息子の大学受験が終了するまで(18歳)とする。
ここが決まれば後はそこに向かって突き進むだけだが、言うほど簡単なことではない。
国内の国公立大学ならどこでもの考えは、こんな俺でも名前だけは知ってる
【東大】も含まれるわけで、俺達みたいな環境の中で生きている人間が、入れる場所な
のだろうか?
まぁ、今の時点で考えても仕方がないので、それより毎日をどう生きればいいのかを考えよう。
楽な道
苦労という言葉がある。
パッと想像するのは
「辛い・苦しい・大変」このようなものだろう。
苦労の塊のような存在の俺にとっては、実に嫌な言葉だ。
(自分が悪いのだが……)
生活の中で、苦労と関連が強いものに【仕事、病気、お金、生活、勉強】がある。
これらは全て、生まれてから死ぬまでの間に、誰もが必ず関わるものだ。
人生は完全にコントロールできるようなものではないため、苦労とは切っても切れない関係にある。
苦労という言葉の意味には、辛く苦しい困難だけではなく、
【物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと】
【逆境にあって、辛い目に合いながら努力すること】
の意味もある。
今までの自分がそうだったように、人は苦痛を感じるものから逃げたがり、楽な道を探したがる。
しかし、この社会は
楽な道ばかりを選んで生きていけるようには作られていない。
逃げれば逃げるほど、避ければ避けるほど、目の前にそびえる見えない壁は分厚く高くなり、乗り越えるのが困難になる。
誰もが苦労することから逃げられはしない。
だからこそ、大きな苦労をしないために、目の前にある小さな苦労を乗り越えていくしかないのだ。
生活を豊かにするにはお金が必要になり、病気になって医者に診てもらうにもお金は掛かる。
そのお金を得るには働かなければならず、どこかの企業で雇ってもらうにも、自分で起業するにもそれ相応の力が必要だ。
単純に考えても小さな頃からさせるべき苦労は学びしかない。
年齢に見合った苦労を与え、乗り越えさせるために様々な経験をさせるんだ。
それが習慣化されれば、辛いとか苦しいとかは感じず、日常的な行動の一つという認識になるはずだ。
しかし、子ども一人に任せておいたのでは、ちょっとした小さな石ころにつまずき、挫けてしまうかもしれない。
だから、ちょっとした変化も見逃さず大切に育てていくんだ。
子どもの負担を少しでも軽くしてあげるために俺が並走して、ありとあらゆる行動を共にしていく。
全ての責任は俺が背負えばいい。
逆風は全て俺が受ければいい。
耐えて耐えて耐えぬくしかない。
その間に少しずつ一歩一歩確実に成長していけばいい。
自由のために苦労した人間だけが、本物の自由を手にすることができるのだから……