東大受験に塾なしで挑む!底辺家庭の子育て体験談
本物の覚悟
非正規雇用
生きているのか、死んでいるのか分からない生活が続く中、転機が訪れた。
24歳になった頃、友達が仕事を紹介してくれた。
「勤めている会社が忙しくて、すぐにでも働ける人を探している。やらないか?」
仕事の内容を聞くまでもなく「お願いするよ」と、即答した。
朝7時に会社へ行き、8時に面接を受けると
「今日から働ける?」
即採用になり、その日から働くことになった。
時給1000円の非正規だったが、友達と一緒に働けるというのが精神的に大きく、とてもありがたかった。
1日7.5時間労働で、給与は日当にすると7500円。
一か月の稼働は約20日ほどなので、額面にすれば15万円。
手取りにしたら12~13万円ほどだ。
勤務時間は平日の8:30~17:00までだが、仕事の忙しさによっては早出と残業もある。
土日祝祭日は基本的に休みだが、こちらも仕事の忙しさ次第で出勤することがある。
この内容であれば自分の時間も作れるし、仕事内容も職場の環境も悪くない。
何より、仕事を紹介してくれた友達に対しての恩がある。
勤め始めてすぐに辞めたのでは、友達の顔に泥を塗るようなものだ。
俺の行動で友達の評価を落とすようなことだけは避けなければならない。
そう思い、しばらく続けさせてもらった。
勤め始めて数年が経つと、時給も少しは上がったが、それでもいかんせん給与が低い。
もう少し収入を増やしたくて他のアルバイトを掛け持ちしようと思ったが、副業禁止ということで不可能だった。
そのような状況で、正社員という安定を求め転職を考えた。
求人情報誌を見たりハローワークに行って何度も相談したが、思うような転職先は見つからなかった……
学歴もなく、手に職があるわけでもなく、何の資格も持っていない。
早い話が
【何の取り柄もない俺】
を雇ってくれる会社なんてどこにもなく、履歴書の最終学歴欄に書いている○○高校卒業なんてものは何の意味もなさなかった。
妻の稼ぎは一か月8万円ほどなので、二人合わせた世帯年収は約280万円。
手取りでは200万円にも満たない。
そんな時、2005年(31歳)に子どもが生まれたが、7年間必死になって貯めたお金はわずか30万円ほど。
幸せとはほど遠い生活の中で、子どもを育てていけるのか?
このような有り様になってしまった自分に対して、感じたことのない後悔の波が次々と押し寄せ、絶望に押しつぶされそうだった。
いや、正確には押しつぶされていたのだ。
言い知れぬ不安が襲ってきて、毎日の生活に安らぎはなかった。
お金もなく勉強もしてこなかった俺は、何をすればいいのかも分からない。
そもそも、子どもを育てるということが分からない。
いや、こんな家庭に生まれてきてしまった子どもが、これから先の時代で生きていけるのか分からない。
考えれば考えるほど、漆黒の闇が広がっていき、言い知れぬ不安は体中に纏わりついていた。
小さな手の温もり
布団に向かうと、スヤスヤと眠る子どもの寝顔を見るたびに涙を流した。
幾度も眠れぬ夜を過ごし、自分を責め続けては先の見えない未来に絶望して
最悪の選択も考えた。
そんな時に、何の曇りもない笑顔で俺の人差し指を握る小さな手からメッセージが伝わった。
「僕はあなたを信じているよ……」
小さな手から溢れ出る温もりは、深い闇に囚われた心に一粒の光を与えてくれた。
お金を求めても、どうにもならない現実がある。
誰かに頼りたくても、頼れない現実がある。
ならば、この環境の中でやるしかない。
絶望感に苛まれているのは俺だけだ。
この子は俺とは違う。
この子にはこの子の人生があり未来がある。
まだ何も始まっていない。
死ぬために生まれる命なんてないだろ。
生きるために生まれてきたんだ。
この子だけは必ず救う。
俺は、この子だけは絶対に裏切らない!
“身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ”だ。
【定義】身を犠牲にする覚悟があってこそ,活路を見いだすことができる。
俺の時間は全て子育てのために使おう。
お金もそうだ。俺達夫婦は我慢すればいい。
今までの人生を惰性で生きてきた人間が
生まれて初めて本物の覚悟を決めた。