東大受験に塾なしで挑む!底辺家庭の子育て体験談
反面教師
よくある話
私が生まれたのは1974年(昭和49年)団塊ジュニア世代である。
この言葉を知っている人は多いと思うが、念のため説明しておこう。
団塊ジュニア世代とは、1971年~74年の第二次ベビーブームに生まれた人達を指し、団塊世代(私達の親世代)の子どもという意味でジュニアと呼ばれている。
この年では毎年200万人以上が出生しており、人口ピラミッドは壺型で、ふくらみの大きい部分がこれに当たる。
この頃の日本は、団塊世代が戦後の高度成長期を牽引してきたことから、経済や生活水準も右肩上がりとなり、ファーストフードやコンビニエンスストアなども普及していった。
しかし、いつの時代も貧富の差は存在し、父親のいない貧困家庭で育った私は、幼少期からの度重なる出来事により中学・高校と荒れ果てていった。
家庭環境が悪ければ悪く育つ。よくある話だ。
私も例に漏れず普通と呼ばれる道でさえ外れていった。
目的のない人生
高校に通う目的は、履歴書の最終学歴欄に〇〇高校卒業と書くためだけ。
中卒よりも高卒の方がいい。
単純な見た目の話だ。
たったそれだけのために学校へと通う。
そんなことだから、優等生とはほど遠い学校生活を送っていた。
無知な私の知らないところで、世の中は学歴重視が叫ばれ、高学歴を求め受験戦争が過熱していた。
良い大学に入り、大企業に就職できれば一生安泰と教えられていた時代。
学歴を求める家庭は増えていったが、人口ボリュームの多いこの世代は
【弱肉強食】
という現実を知ることになる。
一生安泰の4文字を求め、過酷な受験戦争を闘ってきた人達が直面したのは
【まやかしの好景気】
というシャボン玉が弾け飛んだバブルの崩壊だった……
企業は人件費の削減から採用を減らしていくと、大学を卒業しても就職できない人達で世の中は溢れ、非正規でしか働けない人が続出した。
就職氷河期という言葉が生まれるほど、バブル崩壊後の不景気による影響は大きく、私達はロストジェネレーション(失われた世代)という呼ばれ方もされている。
そんな激動の時代に生きてきた私達世代の400万人以上が非正規だと言われており、そうなった理由は様々だが、正社員で働く人達との格差は広がったまま、時だけが平等に流れていく。
私は母親から「せめて高校は卒業しておけ」と言われて育った。
自分のためではなく、履歴書のために高校へ通った私は中身の入っていないペットボトルと同じだ。
上から踏みつぶせば簡単にぺしゃんこになって、元の姿に戻ることもない。
そんな私は高校卒業後に自由を求めて家を飛び出すが、就職しても長続きせず職を転々とし、文社会不適合者となった。
妻と出会い同棲してからも、無職のまま妻の稼ぎで生活させてもらっていたこともある。
社会に取り残されている感覚が続き、閉塞感に苛まれる。
未来のビジョンもない私は生に対する執着もない。
ただ呆然と立ち尽くし、無気力で何も感じなくなっていた私は、生きているのか死んでいるのか、それすらよく分からない状態になっていた……