誰かの役に立つのなら
心に残るエピソードと実践可能なアドバイス
物事の契機
私は自叙伝の出版を夢見て執筆活動を行っているのですが、自分から本を書きたいと思ったことは一度もありませんでした。
すでに1年半は執筆していますので意外に思われるかもしれませんが、自分から人に伝えようと思ったことはないんです。
自分の置かれた環境で必死になって子育てに向き合ってきたことが、徐々に周りの人達の見る目を変えていき、子育ての参考にしたいという波が広がっていったのです。
その波の元を辿れば、世の中には私達親子のような経験談が出回っていないことがあげられます。
大きな池に小石を落としても波紋は広がらないように、ごく一般的な話なら誰も興味は持ちません。
これが幼少期から英才教育を受けて育った話なら「そりゃ、そうなるよね」で終わりなんです。
それが、見るからに安物の軽自動車に乗り、昭和の時代に建てられた借家に住んで、夕方になると公園で近所の子ども達と遊び、夜になると息子と一緒にウォーキングに出かける。
毎日のように、公園で近所の子ども達に交じって遊んでいる父親なんて見たことないんですよ。
そんなこともあって、変わり者と思われていたほどです。
しかし、小学校では勉強も運動も優秀だということが徐々に知れ渡ってくると、やがてみんなから注目されるようになっていったんです。
【何なんだ、この子は……】
それは保護者だけでなく、学校も同様でした。
物事には契機があります。
今回は、なぜ私が自叙伝を書く気になったのか?その話になります。
存在意義の肯定
それは今から6年前、息子の小学校卒業を間近にして、近所に住む同級生のお父さんと世間話をしていた時のこと……
コバフミさん。
今更なんだけどさぁ……コバフミさんってどういう子育てしてるの?
え!? 子育てですか? 急にどうしたんですか?
だって、陸上もそうだったけど、塾にも行かずあの中高一貫校合格したわけでしょ。
そりゃ、どう育てているのか知りたくなるって……
うーん……
人に認められる人生を送ってこなかった私に掛けられた
“どう育てているのか知りたい”
という言葉は、私達親子の存在意義を肯定してくれるものでした。
息子を見て興味を持ってくれたということは、私達親子が他人に認められたということ。
その事実がとても嬉しかったです。
しかし、説明があまりにも難しく、私の子育ては私の過去に起因している。
1から10まで細かく説明しても、時間ばかり掛かって正直伝わるかどうか分からず、順序立てて話をするには、私の生い立ちまで遡らなければならない。
普通の家庭とはまるで違う環境の中で生きてきた私にとって、生い立ちや過去を話すことにも抵抗がある。
しかし、知りたいと言ってくれた人に伝えたい。
こんな私でも誰かの役に立つことがあるのなら……
でも生い立ちや過去を知られたくない。
様々な思いが交錯する中、気が付くとこのような言葉を口にしていました。
強いて言えば、私はずっと息子のことだけを考えています。どうすれば一人で生きていけるのか?生き抜くための力を付ける責任が私にはあって、それはどんなことよりも重要です。だから私は息子を救うことしか考えていないんです。
……。
いやぁ、その言葉を聞いたら尚更どんな子育てをやってきたのか気になるよ。
本を書いてみたらどう!
ほん?……本ですか? 本なんて書けないですよ。とてもじゃないけど文才があるとは思えないし、そんな大それたことできないですよ。
それは分からないよ。傍から言うのもなんだけどさぁ、成功者のやってることが知りたいんだよね。コバフミさんのような人って見たことないからさ。ぜひ、本を書いてもらいたいなぁ……
もったいないよ!
(もったいないって言ったって、一体どうやって書けばいいんだ? 本にしてほしいなんて簡単に言うけど、自分の人生を言葉にして伝えるなんてみんなができるものなのか?専門的な書き方なんて知らないし、大体において俺みたいな人間が本なんて書けるわけがないだろ?)
本を書くのは、専門的な知識と才能がある選ばれた人間の特権だ。
何も持ち合わせていない私のような人間には、無縁だと感じていた……