幼い頃から陽の当たらない道を歩いてきた私は、いつも楽しそうに遊んでいる周りの子達を見て、屈託のない笑顔に偽りのない気持ちというものを感じていた。
そこには何の疑いもなく“遊ぶという行為”に対する純粋な気持ちが表れている。
小学校では、休み時間になるとクラスのみんなが校庭に出て、それぞれが思い思いの遊びをしていた。
ジャングルジムや鉄棒で遊んでいる子。
ターザンロープやタイヤ跳びで順番待ちをしている子。
女の子は地面に〇をいくつも書き「けんけんぱ」と言いながら、足を閉じたり開いたりして飛び跳ねている。
広い校庭で一際目立つ20人ほどの大所帯は、いつも決まって鬼ごっこをしていた。
その光景を遠目から見ていると、輪の中にいる全員が大声を出しながら走り回り、鬼役の子は逃げる子達を捕まえるのに必死で、周りの子達は捕まらないよう逃げるのに必死だ。
「ワーワー」「キャーキャー」悲鳴にも似た声で走り回る姿を見ていると、「何がそんなに楽しいのだろう……」と、不思議に思う僕の心に「楽しいと思う気持ちに理由なんてない」という答えが流れ込んでくる。
あぁ、そっか……そういえば僕もみんなのように笑えた時があったんだっけ……
誰の心にも不安や悩み、そしてその根底には“心配事”があると思っていたが、目の前ではしゃぐ子達にそんなものはない。
笑顔の奥にある幸せに満ちた心は、家族という名の安心感に包まれている。
その事実を知った僕は、この中に誰一人として同じ境遇の子はいないと悟った。
いつの間にか笑うことに理由が必要になってしまった僕は、心から楽しいと思う気持ちを無くしてしまっていた。